【Coyote No.63刊行記念】写真家・串田明緖×Coyote・新井敏記トークイベントレポート
Coyote編集長の新井が串田孫一さんの文章に初めて出会ったのは、17歳のとき。先輩に連れられて谷川岳に登りに行ったところ、天候が悪化。登頂を泣く泣く断念し、下山することに。悔しそうな新井の様子を見て、先輩が一冊の本を贈ります。それが串田さんの『若き日の山』でした。
新井 先輩はその本を通して、“ときに断念することの大切さ”を僕に伝えようとしてくれたんですね。ただ、当時の僕は串田さんの文章を読んでもあまり理解することが出来なかった。山の登り方を教えてくれるものでも、その行程を描いているものでもなかった。
その後も、新井は串田孫一さんの文章をなんとか理解しようと試み、何度も本を読み返します。すると、あるときに「結果ではなく、そのとき過ごしたかけがえのない時間」が重要であると気がついたそうです。その瞬間、まるで枯れた井戸に水が注がれるかのごとく、串田孫一さんの文章の意味がすっと自分の中へ流れ込んで来たのだとか。
新井 それは僕にとって貴重な経験でした。その後、星野道夫さんをアラスカのご自宅に訪ねたとき、本棚に『山のパンセ』や『アルプ』などの著作が数多く納められているのを目にしました。嬉しくなって、「いつか串田さんに会いにいければ」と星野さんに話したことをよく覚えています。
串田孫一さんをいま特集しようと試みた新井。その背景には、昨年4月に逝去されたラジオパーソナリティー・秋山ちえ子さんの存在がありました。
新井 ご縁があり、秋山ちえ子さんのご自宅にお邪魔する機会があったんです。そのときに秋山さんが『新井さんに宝物を見せてあげる』と言い、奥から木箱を持ってこられたんです。それを秋山さんが嬉しそうに開けると、そこには串田孫一さんから送られた手紙が入っていた。まず封筒を見て美しいと思ったんです。ちらしなどの色々な紙を切って張り合わせた手作りの封筒と、その上に万年筆で書かれた孫一さんの字の様子がとても綺麗でした。それを『宝物』と話す秋山さんの様子を見て、『串田孫一』という人間の高潔さ清貧さに触れた気がしました。改めて串田孫一の存在に心魅かれたというのがきっかけの一つです。
自然のありのままの姿を撮り続けた星野道夫同様、『自然に沿って生きる』ことの尊さを、さまざまな形で遺した串田孫一さん。ご遺族の方や『北のアルプ美術館』にお借りしたそれらの資料は膨大で、本誌に掲載できたのはそのごく一部。けれども、今回の特集を通して孫一さんの魅力や、長年の孫一さんに対する思いを少しでも伝えることができれば嬉しいと、新井は言います。
■明緖さんから見た“お義父さんとお義母さん”
写真;串田明緖
明緖 串田孫一と美枝子夫妻の間には3人の男の子どもがいます。長男の和美(かずよし)は演劇俳優や舞台演出などに携わっているのですが、彼が私の夫です。孫一さんは義理の父親に当たります。
新井 孫一さんと過ごされた時間の中で、何か記憶に残るエピソードはありますか。
明緖 お義父さんは誰かにお手紙を送るとき、既成の封筒で送るということはほとんどないんですよね。私も何度かいただいたことがあるのですが、そのときはお菓子の紙やリボンなどをつなぎ合わせたものでした。そのセンス、有り合わせという感じはまったくしなくて。おそらく配色なども考えられていて、見た目がとても綺麗なんです。
新井 串田孫一さんはデザイン感覚の優れた方ですね。
明緖 お義母さん(美枝子さん)もそういった“遊び”をするのがとても好きな人で、よく二人で遊んでいました。「売っているものをそのまま使うより、手作りの方が楽しいじゃない」って。
新井 それはどちらから始めたというものではなく、二人で生活する中で自然と生まれた作法のようなものなのですかね。
明緖 そうですね。自分たちで能動的に行動を起こすことが好きな人たちでもありましたし、二人が新婚の頃は戦時中だったので単純に物が無く、そのような状況を楽しく過ごす術という面もあったのかもしれません。
新井 二人とも良い家柄の出自にも関わらず、疎開した山形での生活ぶりを見るととてもタフなんですよね。美枝子さんも野良仕事など厭わず、率先して取り組んでいる。これまで、僕らは孫一さんの姿しか目にする機会がなかったけれど、今回の取材で感じたのは、孫一さんはもちろんですが美枝子さんの存在の大きさですね。お二人の手紙のやり取りもとても感動的でした。
明緖 お義母さんは読書家なので、お義父さんが作家だったことに惹かれたんだと思っていたんですよ。けれども訊いてみると、結婚するまでお義父さんが何をされているか知らなかったんだって(笑)。
新井 それはすごいね、その勇気というか。
明緖 でも、「私もすぐに良いと思ったから」ってうつむくあたりとか可愛らしいんですよ。