【特別対談:写真家・池田晶紀×SWITCH編集長・新井敏記】最終回 境界を行き来する“中距離写真家”
最終回 境界を行き来する“中距離写真家”
池田 釣りですね。1年半前くらいから釣りを始めたんですよ。釣りには沢山の要素があるんです。
新井 どんな要素ですか。
池田 まず、ギャンブルの要素。それから狩りとゲームの要素。ほかにもフィッシングというスポーツの要素や目に見えない世界を想像するというイマジネーションの要素、自分が投げ入れた餌に何か分からないものが働きかけてくる“宇宙との交信”のようなちょっとスピリチュアルな要素。あとは生死や食といった、本当にさまざまなエンターテイメント要素が集約されていて。だからハマる人は抜けられなくなる。釣りに行くと、本当に釣りにハマっている人に出会うんですが、普段何しているのか訊いてみると漁師さんなんですよね。つまり、午前中は船で漁をして、午後は釣りをしている。
新井 それはどういうこと?
池田 やっぱり、釣りが面白いんですよ。そこにすべてがあるので。仕事と遊びとを分けるのではなく、それが一緒くたになっている。そういう人に出会ったとき、結構感動するとともに、「ああ、釣りにハマると大変なんだな」って思いました。
新井 例えば、実際に釣りをはじめてみて、池田くん自身に何か変化はありましたか。
池田 釣りは一年間通して四季を感じます。僕が釣りをはじめて本当に感動したのは、海の見方が変わったことなんですよ。まず、水草水槽をはじめたことで風景の見方、山の見方が変わった。風景そのものに対して「うわあ、良いレイアウトだな」なんて思っちゃうくらい、風景の見方が変わったんですね。釣りによって海の見方が変わったっていうのは、匂いや風、潮の満ち引きを意識するようになったことですね。これらの要素によって海が活性化するんだとか、逆に活性しなくなるんだとか。漁師さんや船頭さんは、そんなことを毎日やっているんですよ。それでも全部は分からない。中にはそれっぽいことを言う人もいますが、人によって言うことはさまざまで。でも、それぞれ違う認識で海を見つめていても、釣りという観点で言えばみんな名人なんです。それが面白いなあって思って。海っていうのはそういう要素を意識することで、これまでとは違った見え方がするんだなと思って。そんな風に見えない海の中の世界を想像しながら釣りをすることは割と頭を使うんですよね。
水草水槽や猫、海など多様なテーマが並列して飾られた個展は、まるで池田さんの頭の中を覗いているかのよう
新井 それじゃあ、この後は実際に海の中に潜って、モリで突くような漁をすることで、また違った世界が見えるようになるんじゃないですか。
池田 それはやってみたいですね。水草の時もそうなのですが、潜ったりすると、自分が“水”になった感覚になるので気持ち良いんですよね。そうやって中に入って水中カメラで撮影するといった世界は、虜になっている人がたくさんいるじゃないですか。あれは気持ち良いと思います。そういうことを続けていれば、その世界の虜になるようなこともあるとは思いますが、僕はとにかく“行き来”をしたいんですよね。
新井 行き来?
池田 ええ。“中の人”になりたくなくて。地上からみたり中に入ったりということを行き来したいんですよね。本当に“中の世界”に夢中になってしまったら、その世界しか見えない。行ったり来たりする“中距離感”をどのように表現するのかが重要なんですよね。
新井 それはつまりアマチュアでいるということですよね。プロはそれを生業にしなければいけませんが、アマチュアであれば行ったり来たりすることを楽しむことが出来ますから。
池田 中まで一緒に入ってしまったら表現にはならないなと思っていて。表現するための手段として、その世界に足を踏み入れて夢中になることはあるんですけれど、行き来しながら俯瞰で見るという感覚を大事にしたいんですよね。
新井 僕は池田君に感謝しています。池田君が教えてくれた大自然の中で体験する、薪ストーブを使った極上のサウナ。個人的には、サウナ体験であれ以上のものはないと思っているんですよ。だから、池田君が今後体験するであろう自然との出会い方というのものに非常に興味があります。そのような非日常との出会いは普通に生活しているだけでは巡り会うことはないですが、池田くんの写真はそうした世界との出会い方を教えてくれると思っているんですよね。
おわり
第3回 SAUNA!!
第2回 写真家と父
第1回 「自然」に焦がれて
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