対談 秋元康×古舘伊知郎「これからのテレビと僕らの進む道」②
PHOTOGRAPHY:SHINTO TAKESHI
対談 秋元康 × 古舘伊知郎これからのテレビと僕らの進む道古舘伊知郎とは旧知の仲である秋元康は、かつて古舘の「トーキングブルース」にブレーンとして参加していた戦友でもある。同じテレビ屋として、秋元は古舘の「報道ステーション」時代をどう見ていたのか。さらに視聴者という時代や世論と相対するテレビの問題点と可能性や、互いの展望までを大いに語り合う林檎を摂り易く出来ない“壁”②古舘 そう。昔を美化しちゃいけないし昔だっていろいろあったけど、いまはネットの炎上を恐れて闇雲に自主規制する時代だから余計に狭まってしまった。例えばここ何年か報じられているニュースで、対馬の仏像盗難事件(2012)がある。対馬の神社や寺院に韓国人窃盗団が入って仏像などを盗んで韓国に持っていった。最近は返す風向きになりつつあるようだけど、ともかく韓国は返還を拒否した。そもそも豊臣秀吉まで遡れば日本に略奪されたものだから返さないぞ、という主張もわからないではない。一方日本にしても、長年ここに置いてあったものを持っていって返さないはないだろう? となるのもわかる。でも、その当時のニュースやワイドショーの扱いを見て、僕は腹が立ったの。それで「報ステ」で「問題の本質はどちらに所有権があるのか。これに関して僕は偉そうなことは言えません。でもひとつ置いときます。これ、置いときますよ」ってしつこく前置きした上で「本質じゃないんだけども、朝から晩までずっとテレビのニュースは『あの仏像をお金に換算したらこれだけの価値がある』って、そんな『なんでも鑑定団』みたいなことばかり伝えている。盗まれた中には経典もあり、そこには生きる上で大事な教えが記されてあるはずで、それが海を渡ってしまったという話は一切せずに。どうなんでしょう、このテレビの伝え方って?」って言ったんです。そしたらテレビ局から怒られるならまだしも視聴者側が大炎上。「古舘、許すまじ」って。
秋元 えっ、なんで?
古舘 僕は韓国に何も特別な思い入れも感情もないんだけど、まず反韓の方たちが「古舘降ろせ」となり、あとは「日本は無宗教の国なんだからガタガタ言うな」とか。みんな怒りたくてしょうがないし、自分たちの正義を振りかざしたくてしょうがない時代なの。まあシェイクスピアも複数説とかいなかった説もあるけれど、仮に実在したとして、いまはストラトフォード=アポン=エイヴォンっていうところに墓がありますけど……あ、これは語感が好きだから言いたかっただけなんだけど。秋元 (笑)
古舘 シェイクスピアから500年あまり、この世はずっと妬み、嫉み、恨みで出来ていて全く変わっていない。そしていまは昔よりもみんな怒りたくてしょうがない時代なの。だからテレビも無難になる一方なんだよね。秋元 じゃあバラエティだったら?たとえば「ワイドナショー」とか。
古舘 ああいう包み方だと許される場合はある。それでも松ちゃん(松本人志)は相当苦しんでいるはず。でも彼が凄いのは「これだけ気ぃ遣ってもまた(ネットに)やられんのや!落ち込むでー! ここ使ってやー?」と言って番組が終わっていくの。で、翌日たしかにネットのニュースになっている(笑)。あの番組はすごく勉強になるね。
秋元 炎上って、大抵騒ぐのは事の当事者ではなくその周囲なんだけどね。
古舘 そう。それなのに今のテレビはネットの炎上をダシに使い過ぎる。下手したら何十人かが仕掛けたことを、さもものすごい人数で炎上したように扱ってしまうケースもあるし。
秋元 でもこれは止められない流れだと思う。昔は「みんな『この企画がつまらない』って言ってるよ?」とか言われると、「じゃあその“みんな”を連れて来いよ」とか言っていた。でも今はその“みんな”がネット民なの。彼らの中には多分かなり限られた人数なんだけど、「生かすも殺すも俺の指ひとつだ」みたいな特権意識を持っている人間がいる。「そろそろベッキーも許してやってもいいんじゃないか」とか。自分たちが正義であり神なの。そしてすごく巧妙なんですよね。
古舘 その根底に僕は心理学で言うところのポジティブ・イリュージョンという、ある種の幻想を前向きに持たないと生きていけない考え方との関連を感じる。いずれにせよテレビが委縮し過ぎるのはいかがなものなのかと。
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