イヴォン・シュイナードが独学でクロムモリブデン製のピトンを作ったのは1957年のことだ。再利用可能で頑丈なピトンはヨセミテのクライマーの間で瞬く間に評判を呼んだ。次にイヴォンが作ったのはクラッグハンマーだった。使い勝手の良さに次々にオーダーが舞い込んだ。
クライミングの道具を製造販売する会社シュイナード・イクイップメントを立ち上げたのは1966年のことだった。イヴォン手作りのピトンやカラピナは抜群の強度を誇り、クライマーの間では“シュイナード・スタンダード”という言葉も生まれた。カリフォルニア州のベンチュラにブリキ小屋を改造して直営店を開いた。中央には工作機械が配置され、天井の明かり窓からはわずかに日が差していた。
鍛冶用の機械と製品が一緒にある雑然とした中から、スタンダードは次々に生まれていった。数人のスタッフはみな屋根裏に寝泊まりしていた。鉄をたたく男たちは油と汗にまみれていた。水浴をかねて近くの海へサーフィンをしに出かけるのが日課だった。製品は増え、クライミングの道具やラグビーシャツ、スタンドアップ・ショーツなどが置かれていた。スコットランドでイヴォンがクライミングのための頑丈な衣類を探していた時に見つけたラグビーシャツを輸入し、販売を始めたのだ。その機械性と耐久性からイヴォンのシャツを仲間が欲しがったという。旅から知ることは実用だった。
イヴォンはクライミングの魅力をこう語る。
「苦しみもがき、限界ギリギリのところに到達する瞬間に、私は生き甲斐を感じる。しかしその一線を越えてはいけない。人は自分に誠実であるということを学ばなければいけないのだ」
死と隣り合わせのアクティビティ、それ故に道具は堅牢であること。経験が叡智となって生きる。過剰を排し、シンプルさに立ち返ること。それは後退ではない。人間の尊厳を取り戻し、大地と繋がる方法なのだ。その叡智はイヴォンの企業理念となり、1973年のパタゴニア設立に結実していった。
粗末な一軒のブリキ小屋はかつて、毎年5月から9月の間は旅に出るために閉じられていたという。パタゴニアはその5カ月の旅の軌跡から始まる物語なのだ。
その5カ月、イヴォンはたえず路上にいた。
Photography:Sato Hideaki Text:Arai Toshinori
COYOTE No.49 特集 今こそ、パタゴニア
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- Posted on 2013/08/30
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