落語はライブ。だから「いま」観ないと後悔します!

 落語って敷居が高い? 退屈? 年配の娯楽? いやいや、一度その中に入ってみると、落語の中には驚くべきめくるめく世界が広がっています。体験したことのない江戸情緒溢れる下町にタイムスリップし、今、薄れゆく人と人との関わり合いに心打たれた、酔っぱらいのバカバカしいやりとりに人生の有り様を見、新しく作られ続ける新作落語の中から今の時代の空気を感じ取る――。特に、日常のほんの小さな一角で起こった出来事に目を向けながら、時にシニカルに、時に愛情深く、違う視点を与えてみると、日常がこれほどに豊かな感情のやりとりに満ち、これほどに様々な繋がりや縁によって成り立っているのだということを知るのです。しかも落語家によってその視点や表情は違います。落語家は、それぞれ一人ひとりが、プロデューサーであり、脚本家であり、役者であり、しかも毎回違う観客の空気によって変えていく即興演奏者でもある。そしてそうでありながら、脈々と伝わってきた「落語」を受け継ぐ伝承者でもある。古いのに新しく、新しいのに普通。これほどに興味深い表現があるだろうかと思いました。

 現在、落語会には八百人ほどの落語家がいるそうです。今回、取り上げたのはそのほんの一握りでしかありません。しかし彼らが語る「落語」は面白いほどに違いました。そして面白いほど共通していました。それは、みな、一生をかけて「落語とは何か」というその答えを追求し続けていること、そして、「今、見てよかった」と思われる「今の芸」を見せていこうという想い。

 私たちはもう、ライブで志ん朝も枝雀も談志も観ることができません。もちろん音源は聴ける。しかし、今、ここで、一緒に空気を作り上げていく喜びを、変わっていく噺の過程を直に感じる興奮を体験することはできません。でもいいんです。私たちは、今、同世代に、彼らに出会った。彼らの落語に間に合った。

 この特集は、それを証明するための、落語家十二人の「今」の記憶です。

「SWITCH」Vol.32 No.3(特集*進化する落語)
Posted on 2014/02/19