6月19日、ビックマウンテンスキーヤー・佐々木大輔はデナリ山頂から南西壁をスキーで滑降するという前人未到の偉業を達成した。40歳の節目に挑戦の舞台に選んだデナリ。アラスカに出発する直前、その冒険への思いを訊いた。
■植村直己に影響を受けた少年時代
子供の頃に植村直己さんの『青春を山に賭けて』を読んだことがきっかけで、登山を始めました。植村さんはその好奇心から、一見無謀にも思える破天荒な行動をとる。アマゾン川を筏で下ったり、スキー初心者なのに、滑れると大見得を切ってモルジヌのスキー場でパトロールとして働き始めたり、身体ひとつでどんどん知らない世界に突っ込んでいく。その冒険譚に魅かれました。単に山の世界の面白さだけでなく、未知の世界への憧れと好奇心を教わったんだと思います。子供の頃から野山を駆け巡って遊びながら北海道の自然に鍛えられていたので、いつか僕も植村さんのように、という期待と夢が広がるきっかけになりましたね。きっと読んだ本が『ハックルベリー・フィンの冒険』だったらそうもいかなかったでしょうね。今振り返って、本当に影響を受けていたんだなと思うのですが、小学校高学年の冬に、安物のプラスチックのソリにテントや食料を積んで、札幌から苫小牧まで2日かけて1人で歩いたことがありました。自分で計画した目標を達成する喜びを味わった原体験ですね。
本格的な冒険の旅が始まったのは、20代を過ぎてからでした。スキーをずっと続けていたのですが、そのうちにエクストリームスキーの大会に出るようになり、海外の山にもスキー遠征に行くようになりました。19歳のときに先輩に連れられてネパールのマナスルに遠征に行ったことはありましたが、連れられていくのと自分でゼロから計画を立てて行くのとでは大違いです。そういった意味での初めての遠征は、2000年23歳のときに行った、植村さんが消息を絶った山でもあるデナリでした。この山を自分たちの力で登ってなおかつ滑ってくるために何が必要か、ワクワクしながら準備とトレーニングを重ねました。登山がそれほど得意ではないメンバーもいたし、クレバス(氷の裂け目)がある雪山は皆経験が乏しかったので、とにかく冬の間に皆で山行を繰り返して、特にロープワークの練習に励み、デナリ登山の経験がある先輩の話を聞いたうえで必要な装備や食料を準備しました。
それでも予想外のことは起こるもので、スキー部の先輩にアンカレッジ空港で待ち受けられていて、冬山キャンプの経験も十分な装備もない先輩を、途中までという条件で他のメンバーを説得して連れて行くことになったんです。その後、デナリ登攀中に仲間の1人が高山病で降りることになってしまったのですが、先輩は装備を譲ってもらうことで登山を継続し、結局デナリの山頂に立ちました。もちろん若者のノリもありましたが、皆で楽観的に楽しんだ結果、海外でも自分たちの力で楽しめるという実感を持てたことは大きかったです。
1人で行けば自分のことだけを気にしていればいいけれど、成功の喜びも1人分です。いろんな人と行くならば協調性が必要ですが、個性や経験の違い、体力の個人差をうまく調整し、時間をかけて1つの目標に向かっていく。単独よりも、みんなと行くプロセスが僕にとっては遥かに楽しい。それに気付けたのもこのデナリ遠征の収穫です。その時の成功が大きな転機となり、翌年には仲間たちと北千島列島へ、その翌年には再びアラスカへ、その翌年にはグリーンランドへ、と益々世界が広がっていきました。
■デナリ挑戦に最も重要なもの
再び、17年ぶりに自分の原点ともいえるデナリに行くことに決めました。6190メートルのデナリ山頂から、まだ誰も滑り降りたことがない南西壁をスキーで約3000メートル滑降します。最大傾斜はおよそ60度。行程としては、高所順応のためにまずは3~4週間かけてノーマルルート(ウェストバットレス)から山頂へ登り、一度下山します。その後、再び、昔から憧れていたクラシックルートのカシンリッジから山頂を目指し、スキー滑降に挑戦します。自分のなかでやりたいと思っていた遠征のなかでは最も困難な挑戦です。一度山頂から下山して、再び山頂へ向かうモチベーションを保てるかも挑戦ですね。実は5年前にも仲間から誘われたことがあったのですが、その時は決心がつかなかった。でも2013年に、北海道の利尻岳を頂上から滑降したときの映像が番組としてまとまったのが自信に繫がりました(2013年3月にNHK BS1で放送)。利尻では、大きなチームでいい山行・仕事ができたという喜びがあった。今回のデナリも大きなチームで行くのですが、皆で1つのプロジェクトに向かっていく、それを楽しむというのがやりがいになっています。
南西壁に決めた理由はいくつかあって、カシンリッジを見ながら滑れる斜面に挑戦したかったという僕のこだわりと、誰もまだ滑っていない南西壁に自分のラインをつけたいという思いもあった。行くと決めたからには、まずは登れるのか、ちゃんと滑れるのかを調べなければいけません。登るための資料はたくさんあるのですが、滑るラインの記録はないし、そもそも滑れるラインが下まで繋がっているかわからない。地形図を見てもわからないし、写真もあまり出てこないエリアなので、行ってみないとわからないということで、去年の夏、偵察に行きました。約2週間の偵察中、滑るラインが上から下まできれいに繫がっていることを確認し、しかもある程度美しく滑れるラインが見つかった。滑るルートの途中には、滑走面の幅が2メートルほどしかない難所もありますが、実際に見て、できるという感触が得られました。
今回の挑戦には、判断力が最も重要になってくると思います。足の裏から伝わる斜面の感触や今までの経験から、これは行けるのか行けないのかという判断を、滑りながら瞬時にできるかどうか。集中しすぎるあまり、誤った判断を下してしまうことがあるので、集中しすぎていないかを見極める冷静さと、自分を一歩引いた状態から俯瞰することが大切です。
デナリという山がどういう風に自分を受け入れてくれるかは、終わったときにしかわかりません。滑りが成功することももちろん大切ですが、メンバー全員が充実した気持ちで帰ってくるのが、やはり一番なので、たとえ全員が滑れなくても「いい山だったね、乾杯!」と喜び合うのが目標です。周りの環境のおかげで今があるし、自分一人では何もできなかった。だからこそ皆で楽しまないともったいないと思っています。
※取材はデナリに出発する前、3月16日に行なわれた。
<プロフィール>
佐々木大輔 1977年北海道札幌市生まれ。国際山岳ガイド。ビッグマウンテンスキーワールドツアー・フランス大会準優勝などコンテストで活躍する一方、マナスル7400メートル地点からのスキー滑降、利尻岳西壁、南陵~東壁初滑降など、冒険スキーヤーとしても数々の偉業を残す。