対談 秋元康×古舘伊知郎「これからのテレビと僕らの進む道」①
PHOTOGRAPHY:SHINTO TAKESHI
対談 秋元康 × 古舘伊知郎これからのテレビと僕らの進む道古舘伊知郎とは旧知の仲である秋元康は、かつて古舘の「トーキングブルース」にブレーンとして参加していた戦友でもある。同じテレビ屋として、秋元は古舘の「報道ステーション」時代をどう見ていたのか。さらに視聴者という時代や世論と相対するテレビの問題点と可能性や、互いの展望までを大いに語り合う林檎を摂り易く出来ない“壁”①古舘 アッキーと初めて会ったのはたしかラジオ局だった。フリーになる直前くらいの局アナ時代に、(石橋)貴明を以前から知っていた流れでとんねるずのラジオに呼ばれた時。夏場で、麻の生成りのスーツ着ていたよ。秋元 本当に? 覚えていない(笑)。古舘 そこで初めて二言三言話して、その後に僕が40歳、アッキーが36とかの頃に、本格的に番組で一緒に絡んで、「トーキングブルース」も何年かお世話になった。でも「報ステ」の間は全く会えていなくて。秋元 たまたま久し振りに食事をすることになったのが「報ステ」を辞める発表の直前だった。僕は古舘さんが「報ステ」にストレスを感じているんじゃないかとずっと思っていたから、別れ際に「古舘さん、そろそろ卒業を考えてるでしょ?」って言いながら車に乗ったんだよね。で、ひと月ぐらい経ったら降板の報道が流れて(笑)。あの時点でもう内々では決まっていたんだろうけど、僕は知らなかったから驚いて。古舘 違うよ、アッキーに引導を渡されたから辞めたんだよ?(笑)でも「報ステ」の間も、渡辺満里奈さんと名倉潤さんの披露宴(2005)でたまたま席が隣同士だった時の話が印象に残っていてね。あの時アッキーは僕に「たとえニュース番組であろうとも、テレビという箱の中から伝える以上は仕掛けもギミックも必要だろうし、視聴者には歯茎の弱い人もお年寄りもいるんだから、林檎をそのままボーンって放り込んじゃダメ。食べ易いように切るとか、飲み易いやすいようにジュースにすることが 大事だと思う」という話をしてくれて。「わかっている。それを狙ってジャーナリスト出身でもない俺が行ったんだけど、なかなか難しいんだよ」とか話したよね。秋元 後からいろいろと聞いて理解したけれど、その時は報道畑の詳しい事情や流儀を知らなかったから。アメリカのニュースショーみたいにアンカーマンが編集権も持っていて、ああだこうだと作っていくものだとばかり思い込んでいた。でも古舘さんも初めはそういうつもりだったんでしょ?古舘 そうだね。でもなかなか壁を打ち破れなかった。これは「報ステ」に限らず、ひとつにはやっぱり人の生き死が関わるということ。これはデリケートの極みだから。例えば何かのニュースのVTRや中継を受けたアンカーマンがスタジオで発する一言で、人が傷つく場合もある。つまり生きている人も傷つく。これがバラエティだと、そこは娯楽ですからお互い仮想パーティに参加しましょうという“お約束”の中にあるから、厳しいことを言ってもあまり傷つかないし、多くは“面白い”へと変換されていく。報道はVTRも“抜き身”だから、あまり意図的な編集をしたら大変なことになる。それで最近のニュースはざっくりとした編集で流して、あとは「視聴者の方々に委ねますのでよろしく」という手法になってきた。前にアッキーが話してくれたようなギミックも必要だと思うし、何なら本気で討論する時間尺があってもいいはずなんだけど、突き詰めれば「もはや新聞でもそこまでやっていますか?」という話にまで及んでしまう。秋元 そうなるとおちおちコメントもできないよね。僕が「報ステ」に期待していたのは、エッセイストとしての古舘さんの魅力だったから。かつて古舘さんが話した「私はテレビを観ない人。映画しか、しかも洋画しか観ないの」「何言ってんだ? お前は洋画のファンじゃない、戸田奈津子(字幕翻訳家)のファンなんだろ?」っていう(笑)、あの斬り口が僕はすごく好きだから。でもそれは許されなかったわけで。
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